今回は私が最近とても気になっているアーティストをご紹介したいと思います。彼はフランチェスコ・トリスターノというピアニストで、クラシック音楽で類い稀な才能を持ちつつも、テクノ・ミュージックも操る自由自在なピアニストです。今回は、この音楽ジャンルを越境するピアニストの活動と彼がどのような姿勢で音楽と向き合っているのかについて少々お話してみたいと思います。
フランチェスコ・トリスターノについて
フランチェスコ・トリスターノ・シュリメはルクセンブルグのピアニストで、5歳でピアノをはじめ、13歳で最初の自作の曲のコンサートを開き、その後、19歳でプロのオーケストラとのデビューを果たしています。2004年には20世紀音楽国際ピアノ・コンクールで優勝しました。留学先のジュリアード音楽院では、バッハ演奏の大家であるロザリン・テューレックのマスタークラスを受けたようです。
こうしたクラシック音楽というジャンルの土壌で育った彼ですが、次第にテクノ・ミュージックの活動にも食い込んでいきます。
最近の映像の中ですごくカッコいいライブ映像を発見しました。
(Carl Craig、Moritz Von Oswaldとの共演です。ちなみに、NIのMaschineが各所で使われています)
実は私が初めてこのピアニストを知ったのは、某クラシック番組の中でした。初めて聞いたときは、彼のテクノやクラブの活動を全く知らないまま聞いていましたが、非常に繊細できめ細やかな演奏をするすごいピアニストだなと衝撃を受けました。この番組では自作曲、バッハ、ジョン・ケージ、ギボンズの曲を演奏していましたが、クラシック音楽の奏者として非常に卓越した才能を示していました。
バッハ以前の作曲家ギボンズを選曲していること自体はグールドの影響かなと思いましたが、やはりグールドのことを彼は尊敬しているようです。
一つ一つの旋律が浮き上がってくるような演奏
ここで彼のホームページのトップにあるバッハの「パルティータ6番」の演奏を聞いてみましょう(左下)。
もう一つ、バッハ「パルティータ1番」です(右下)。一つ一つの旋律が浮き上がってくるような非常に繊細な演奏となっています。
どうでしょうか。非常に繊細にバッハを弾きこなしていて、とても気持ち良い演奏だとは思いませんか。
最近、彼はBachCageというアルバムをドイチェ・グラモフォンから出しています。同じくホームページにあるアルバム紹介ビデオを見てみましょう。(右下)
ピアノが「浮いてしまう」のはさておき、ジョン・ケージの幻想的な世界から、目が覚めるようなバッハの演奏にあなたもイチコロになってしまうことでしょう。
また、すごくカッコいい演奏も見つけました。(左下)の動画をご覧ください。
(BachCageというアルバムの最初にある曲です。当たり前ですがアルバム通りではなく即興も加わっています)
おそらく、彼以外にもピアノを使ったテクノ・ミュージックを作るミュージシャンが数多くいるかといるかと思いますが、彼以上にクラシック音楽という文化にどっぷりつかりつつ、しかもテクノ・ミュージックの活動をしているミュージシャンはほとんど見かけることはないと言えるのではないでしょうか。
テクノとクラシックというと、私がいつも想起するのが、マルティン・シュタットフェルトというドイツ人のピアニストで、彼は繊細なバッハの演奏で大きな評価を受けていますが、同時に個人的にテクノ・ミュージックを良く好んで聞くようです。そうした彼でさえも、トリスターノほど大々的にテクノ・ミュージックの活動を行ってはいません。
近年彼は彼自身が尊敬するCarl CraigのプロデュースによるIdiosynkrasiaというアルバムをリリースしましたが、ピアノとテクノ・ミュージックが融合した素晴らしいアルバムとなっています。
彼のテクノ・ミュージックの音源、映像については、彼のホームページのメディア・ページでご覧いただけますので、ご興味のある方はどうぞ。
クラシック音楽の活動としては以下のアルバムもあります。
- バッハ:ピアノ協奏曲全集(トリスターノ自身が指揮も同時にやっているようです)
- バッハ:ゴールドベルク変奏曲
- ラヴェル:ピアノ協奏曲/プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第5番
(ラヴェルの有名な甘ーいピアノ協奏曲に、難曲のプロコフィエフも演奏してます)
彼が影響を受けてきた音楽ジャンルが全て詰まったような「Aufgang」
彼はAufgangというトリオでも演奏していますが、これがすごい!ロックというか、エレクトロニカというか、クラシックというか、ジャズというか、彼が影響を受けてきた音楽ジャンルが全て詰まったようなアルバムとなっています。
その中のBarockという曲が見つかりましたので、ご覧ください。
このアルバムの中でSonarという曲がありますが、その最終部のピアノソロは圧巻です。自由な低音域の左手の演奏はブラッド・メルドーのような演奏とも通じるものがあるでしょう。
また、左記に彼のインタビューとレクチャーを載せておきます。
このレクチャーの中でトリスターノはピアノについての考え方を語っています。ピアノは今も進化し続けている楽器であること、そして、彼は常日頃からピアノをパーカッションのように弾きたいと考えていると述べています。先述のAufgangでは、彼のパーカッションのようなピアノ演奏を随所で聞くことができるでしょう。
クラシック音楽とテクノミュージックの活動を同時にしているのはなぜか?
それではこのようなクラシック音楽の第一線を行くようなピアニストが同時にテクノミュージックの活動をしているのはなぜでしょうか。
彼は、あるインタビューの中でテクノとバロック音楽の直接的な類似性を指摘しており、例えばバッハの「平均律クラヴィア第1巻、2番プレリュード」の冒頭の1フレーズを切り取り、それを繰り返すとテクノ音楽になると話していました。
彼の指摘している通り、確かにフーガという形式自体は、極端に言えば、同じフレーズの繰り返しであり、そういう点でテクノ・ミュージックというジャンル自体に深い関係性を見いだせると思います。
グールドはバッハ演奏の伝統の破壊、さらに言うとクラシック音楽のあり方、クラシック自体の伝統を内在的に破壊しましたが、そうした点では、彼の音楽に対する姿勢はグールドと同じようなジャンルを破壊しようという姿勢を認めることもできるでしょう。
ですが、彼にとってはバッハからテクノ・ミュージックへ至る道のりは必然的な結果であって、単に破壊を目的としてこうした活動をしている訳ではないということも言えるでしょう。トリスターノの自作のテクノ系の曲の中にはバロック音楽、またはバロック以前の音楽のフレージングを巧みに使っている曲があります。彼はバロック音楽とテクノの形式的な親和性を見いだし、その間を行き来するのは彼にとって非常に普通の出来事のように感じているのだと思います。
演奏の繊細さという点もテクノミュージックにつながるものであると私は思います。テクノ自体がすでに音に対する繊細さを要求しているのではないでしょうか。
今後も彼の音楽活動に期待です!