続・ブラッド・メルドー

メルドー

これまで、何度もメルドーの記事を書いてきましたが、今回も書かせていただきます!最近久しぶりのソロアルバムを出したメルドーですが(といっても去年ですが)、これが実にいい!このアルバムについて私が感じたこと、考えたことを、今回も書き綴ってみたいと思います。メルドーがいかにジャズという音楽ジャンルを逸脱し、どのような哲学を持って音楽に向き合っているのかを感じていただけると嬉しいです。

■ 3作目のソロアルバム

去年、久しぶりにメルドーは「Live in Marciac」というソロアルバムを出しました。デビューから数えると3作目となるソロアルバムです。最新のテイクかと思いきや、意外に古く2006年のライブ録音です。最近のメルドーのプレイスタイルは以前のものから大きく変貌してきていますが、このアルバムが収録された2006年の時点でのスタイルは良い意味で「荒削り」です。ロックを感じさせるような独特のスタイルは、メルドーの大きな魅力でもあります。

元々私はロックとクラシック音楽が好きな人間で、あまりジャズという分野には興味がないのですが、メルドーのピアノはまさにクラシック音楽とロックを融合させたようなピアノです。このアルバムの中で私が一番好きなのが、「Exit Music」です。

はじめはメルドー自身の曲である「Goodbye storyteller」の非常にゆっくりとした甘い曲で始まるのですが、そこからRadioheadの「Exit Music」に移っていくに従い、徐々に攻撃的な演奏になっていきます(6:00以降あたりから)。機関銃のように和音を次々に連打していく様は、まさにエレキギターがバッキングを連打しているような感覚です。そして右手で低音を弾くところは鳥肌が出るほどスリリングです(11:20あたりから)。

ピアノからここまでカッコいいサウンドを引き出すことができるピアニストは現代ではなかなか見つけることができないでしょう。クラシック音楽でいうとプロコフィエフの戦争ソナタといった感じでしょうか(実際彼はこのソナタを好んで弾くことがあるようです。録音されたアルバムはありませんが)。

■ メルドーの哲学

このような特徴あるピアノ・サウンドを演奏できるには理由があり、彼の音楽に対する哲学があります。前回紹介したインタビューの内容をご紹介します。

(2:30あたりから)

……僕が音楽から魅了され、また音楽が素晴らしいと思うのは、ハーモニーだ。一般的に、即興演奏をする人やミュージシャン、作曲家が自身を定義する上で重要に思われていることがメロディーだろう。どのようなメロディーなのか、どんな素晴らしいメロディーを書けるのかといったことが重要だと思う人がいる。だが人はハーモニーのことをあまり重要視しない。ハーモニーの領域に踏み込むと音楽が難しくなり、かなり特殊なものとなり、聴く人がいなくなってしまうからだ。

だが、ハーモニーはメロディーの下で演奏される。例えばシューベルト、ブラームス、現代から言うとビートルズ、ジャズではコルトレーン、デューク・エリントンのような人々は、素晴らしいハーモニストだった。彼らは素晴らしいメロディーを書いたが、メロディーはハーモニーが下になければあまり面白いものとはならないだろう。非常に単純なメロディーに、それほど単純ではないハーモニーを混ぜ合わせることで、単純なものではなくなり、メロディーに暗い側面を加える。

コルトレーンは僕にってジャズのベートーベンだ。例えばバードはモーツァルトみたいなもので、自然とほとばしるものを音楽にしていった。コルトレーンはマイルズ・デイヴィスと同じようなことをした。彼はバンドと演奏する中で新しいハーモニーの領域やリズムの領域を切り開いていった。たぶんチャーリー・パーカーがそういった人だったと言う人もいるだろうが、僕はそういったものをコルトレーンに感じる。彼は2つの互いに相容れないことを同時に言っている。彼の音楽は聴衆に向かって「xxxx you」と言う。でもそれをとても美しい言い方で言う。「xxxx you」そして同時に「I love you」と言い、「これから美しい曲を聞かせてやるよ」と言う。彼は自分が弾きたいように弾いて、自分の意志の赴くままに弾く。そして自分で作った音楽がどのように受け取られるのかといったことは気にしない。でもそこで素晴らしいのは、そうして作られた音楽が実際に人々の心に響くということだ。

ここで問題なのが、こうして主観的に作られたものが、なぜ単純に演奏した人のものよりも素晴らしいのかということだ。その理由には別に謎めいたことは何もない。そこには依然として力強い形式があり、全てが以前のハーモニーの伝統から来ており、自分が土台としているものに由来しているからだ。そこには昔にあった全てが詰まっているからだ。コルトレーンは自分の土台となっているものから自由になる。例えば、単純なこのペダルポイントをとってみてもそうだ。全てがこのペダルポイントから有機的に生じてくる。

……少々長くなってしましたが、このインタビューの中で彼は音楽に対する自身の哲学を端的に説明していると言えるでしょう。そして、伝統と自由に対する彼の考え方が示されているとも言えます。自由に表現しているつもりが実は意識をしない部分で伝統に乗っ取っていて、そこから自由が獲得されていく。彼の演奏そのものが伝統と自由の獲得を表していると言えるでしょう。自由はそれ自体として成立するものではなく、常に制約の中から獲得されていくと言っても過言ではないでしょう。

彼の自由への考え方は、啓蒙時代の明快な思想、さらにはビートニク、トーマス・マンに代表されるより複雑で分裂症的な感覚に根付いています。このインタビューの中での一歩退いたような彼の考え方は、トーマス・マンのトニオ・クレーガー的な考え方を連想させるものです。すなわち、聴衆に理解されたい、世間とうまくやっていきたいという考えがあるが、やはり自分自身の反対する性質がそれを妨げる。この分裂は古くはフリードリッヒ・シラーが予感した世界観、並びにそれ引き続くロマン主義作家たちが表現した世界観と言えるでしょう。こうした歴史からの断続性が彼の音楽の中で意識するにせよ無意識にせよ表現されていると言えます。

伝統的な心地よい形式とそれを破壊する自由のバランスがメルドーの音楽の核心と言えます。